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家のしごと

家の中の仕事をきちんとしている人に憧れる。こんなことを言うと、少し時代遅れな感じすらするかもしれない。

女の人が家事をすること。女の人を家にしばりつける概念としてでなく、どうして家事をきちんとしている人がステキだと思うのか考えてみて、わかったこと。

「家事は、そもそも、家族や身の回りの人やものに愛を表現する行為である」

ということ。

料理、掃除、すべてはエネルギーを整える仕事である。

掃除は家の中のエネルギーを整える。きれいにお手入れされているものには、よい気が宿るし、家中が散らかっていると家のエネルギーも散らかって、そこに住む人の頭の中まで散らかってくる。

静かな心持で生活するには、やっぱり禅寺のようにはいかなくても、自分の本当に気に入った必要最低限のものを持ち、それを丁寧に使い、置き場所を決めて、整理しておく。ということが大切なんだろうと思う。

外で仕事をしていると、家の仕事が面倒くさく感じられたり、限られた時間で食事を作らなければいけなかったり、やらなければいけない仕事が山のようにあるように感じることもある。ちょっと気を抜くと、家の中は簡単に散らかるし、ほこりは絶え間なくつもる。

でも、掃除を「家の中のエネルギーを整える仕事」だととらえると、義務というよりも自分が気持ちよくいられるエネルギーを作ることにフォーカスするので、楽しくなってきたりさえする。掃除をタスクと考えると辛くなるし、掃除が行き届いていないところが気になりすぎて強迫観念さえ感じたりすることもあるかもしれない。タスクを遂行していない罪悪感や無価値観まで出てくるかもしれない。でも、自分の「気分の良さ」にフォーカスして、できる時にできるだけ「気持ちよく」過ごせるように掃除をするのが、私の中で一番しっくりくるなぁと思う。そういう意識で掃除した家は、きっと空気が明るくて、家族もイキイキと暮らせるのではないかと思う。

掃除が家の中のエネルギーを整える仕事なら、料理はまさに家族の健康をつかさどる大切な仕事で、最もダイレクトな愛情表現の行為であると思う。

私はおばあちゃんっこだったが、祖母の思い出はおうおうにして食べ物と結びついている。いちじくの甘露煮、笹団子、きらずいり(新潟の田舎ではおからのことをこうよんでいた)

私は幼いころから、家の畑からとれた新鮮な野菜いっぱいで、毎日愛情いっぱいに丁寧に作られた食事で育ててもらった。本当にありがたいことだったのだなぁ、としみじみ思う。だから、今でも祖母が作ってくれた料理を思い出すと、なんか涙が出る。

毎日、朝から晩まで畑仕事に台所仕事。私にはちょっと真似できない、と思ってしまうけど、もっと家族にきちんと、愛情いっぱいに丁寧にごはんを食べさせてあげようと思った。

これ以上に大切な仕事はないように思える。

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