人づきあい,  自分づきあい

「いい人」の罠

「いいひと」という概念に、ずっとあやしげなものを感じてきた。

子供に対して使う「いい子」という言葉にも感じる、不愉快な感覚。

「いいひと」って何?「いい子」って何?

「あの人はいい人だ」と誰かが言うとき、イメージするのは、穏やかで平和で善良でにこやかに人のことを考えて生きる人。ボランティア活動とかもたくさんしているかもしれない。

この「いい人」という概念に不快さを感じるのは、ただ私がひねくれているから?反発心がむくむくと湧き上がる。人間は状況次第でどんなことをするか全くわからない存在なのに。

で、わかった。この不愉快の意味が。

「いい人」は「正しい」ことをしているからなのだ。で、私はこの「正しさ」に反発している。「正しい」って何よ。世間の常識とか、「こうするべき」に沿っている。でも、世間の常識や「こうあるべき」「こうするべき」というものほど、怪しいものはないと私は思う。どうして、他人の「正しい」に合わせて生活していかなくてはいけないのか。世間の「正しい」に合わせると、自分が苦しくなる。そして、苦しいままで世間の正しさに無理矢理合わせていい人をよそおったりしていると思ったら、突然周りに爆発したりする。

「私はこんなにやってあげているのに。」

こんな風に生きている人に最近、よく気づくようになった。初対面の頃は、こんなに善良ないい人が存在するんだ!と、素直な私は簡単に感動したりしていた。ボランティア活動にもよく取り組み、いつも穏やかで自分のことよりいつも相手のことを優先して考えて。でも、一緒にいるうちに少しづつ気づいていくのは、どうも犠牲者になりたがるんだな、ということ。犠牲者になって、相手を自動的に悪者にしている。

自分の気持ちをうまく伝えられなかったとき、相手を悪者にして、自分は被害者になりがちである。ということを最近、大発見した!

「こんなにやってあげているのに」って、そうするように頼まれたのか?自分で、そうしようと決めたのじゃなくって?

やりたくなかったのなら、しなければよかったのに!自分でやろうと決めて、あとで誰も感謝してくれない、って怒るなんてちょっと迷惑。とっても重いんですけど。

と言いながら、私もちょっと夫に対してそんなことをしていた時代があった。

いつも仕事で疲れている夫が少しでも朝ゆっくり寝ていられるように、ベッドまで毎朝朝食を運んでいってあげていた。それが日課になっていたので、ふつうにもう朝食はベッドで食べられるものだと思っている夫にどんどん腹がたってきた。もうちょっと感謝したらどうなのよ!私だって眠いんだから!

今から考えると、何をやっていたんだろう?とつくづくおかしい。

ぷんぷんして朝食を持ってきてもらったって、何もうれしいことはなかったのに。今は、冷静に考えて、素直に、持っていってあげようかな、と思ったときだけ気持ちよく持っていってあげるようになった。で、疲れているときは、私が寝ているうちに知らないうちに仕事に出かけていたりもする。昔だったら、ものすごく申し訳ない気持ちになっていたところ、今はそんなことは全然ふつうになってしまった!

それは「いい妻」を演じるのをやめたから。自分がやりたい、やろうと思ったことだけしているから。

楽ちんで自由。

「いい人」でいるよりも、自由で楽しい方がずっといい。

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