宇宙のルール,  自分づきあい

「知っている」

「知っている」には何段階もの層があるんだな、と思う。

自分が「知っている」と思っていたことも、あとになってみると、なーんにもわかっていなかったんだな。と思うことがある。

基本的に私は、何かを理解するのに時間がかかるほうである。何をするにも不器用で、理解が遅くて、ちょっと頭が悪いとずっと自分で思ってきた。少なくとも、何でもスマートにこなせるタイプではない。その格好悪さが、自分なりにちょっとコンプレックスだったりもした。でも、スマートでない分、私は何でも深く理解し、実感を持って体全体でわかることを求めていたのだということがわかって、自分がたまらなく愛しくなった。

私が今、わかった、と実感していることは、自分のどろどろした部分と徹底的に向き合って、今まで自分に徹底的に問うことを課してきたからだ、という自負がある。これは頭だけで得た知識ではない。体全体でわかった時、今まで経験したことのない力が内側から湧いてくるのを感じる。

これは頭で理解するのとは、全く次元が違う。いろんな情報や知識が氾濫している今、その情報が自分にとっての真実がどうかは自分の体に聞いてみるのがいい。おなかの感覚、そこからどんな感情がわいてくるのか?それは重くて暗い感情か、軽くて楽しい感情か。自分はどう思うのか?自分のフィルターをきちんと通さない知識は、上すべりで自分の栄養にならない。その知識は、人の上にたつためでも、自分をよく見せるためでもない。学ぶのは、知識を求めるのは、それが楽しくて仕方がないからだ。知りたくて、学びたくてうずうずするからだ。

もちろん、そうやって知り得た知識は自分の血となり肉になり、そして周りに伝えずにはいられなくなるのではないかと思う。

大人たちが変な干渉をしない限り、子供たちは放っておいても自発的にいろいろ学ぼうとする。

本当は、そういった自然な成長欲求はきっと本来誰にでもあると思う。

頭だけで分かった気になって、安心していたらもったいない。

もっと貪欲に学んでいこう。

 

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