• 人づきあい,  自分づきあい

    あなたにはわからない

    私は、シングルで家族もいなくてひとりぼっち。

    ただ、毎日仕事をして家に帰って、一人で食事して疲れて寝る。それだけの繰り返し。

    心を許せる友達もいなくて、週末も一人。

    あなたなんかに、私の寂しい気持ちなんて、わからない。

    一体、何のために生きているのか。

    家族がいて「幸せな」あなたなんかに、私の気持ちはわからない。

     

    同僚と話したランチタイム。

     

    確かに、あなたの気持ちはわからない。所詮、他人だもの。

    でも、寂しくて、一人ぼっちで、不安で、きっと辛いんだろう、ってことくらい、あなたを見てたら痛いくらいにわかる。精神状態ぎりぎりのところで生きているってことも。

    でも、「シングルだから、寂しい」

    そういうものだ、って誰が決めた?

    「シングルだから自由で気まま」

    って考え方だってあるじゃない。

    しかも、本当は、パートナーが欲しいとすら思っていないでしょう?

    心の中で、面倒くさい、と思っているでしょう?

    お願いだから、被害者にならないで。

    自分をかわいそうに思わないで。

    本当は、今の状態を、無意識に自分の意思で選んでいるのに。

    今の状態がイヤなら、いつだって出ていけるのに。

     

    本当は今の状態を変えていけるパワーが、あなたの中にあふれているのに!

    そう心の中で強く思いながら、私は口に出せなかった。

    頑なになっている心の壁。

    きっと、傷つきやすい自分を守るために、長年かけて厚くしてきてしまったんだろう。

    私たちは、自分の聞きたいことしか聞けない。

    今は、お茶を淹れてあげることぐらいかな。

     

     

  • ハピネスラボ,  自分づきあい

    日本人であること

     
    あっという間に7月。
     
    先日は、今更ながら娘とネットフリックスで「君の名は」を見ました。
    今さら感いっぱいですが。
     
    となりで娘が寝落ちしている横で、私はモーレツに涙が止まりませんでした。ま、すぐ何にでも泣く体質なんですが。。
     
    そこで感じたこと。
     
    昔から、日本人であることの意味とか日本人であることを大切にする生き方ってどういうことなんだろう、とずーっと考えてきて、最近やっと明らかになり、わかったことがあります。
     
    それは、日本の建国の理念。
     
    私、知らなかった。建国の理念、なんて考えたこともなかった!
     
    私たちがどれだけ、戦後で洗脳教育をうけてきたか。日本の本当の建国の理念が隠されてきたのか。
    大学時代はずっと左側の思想の方が影響が強かったし、こういうことを言うとちょっと右翼っぽい!と疑いの気持ちがむくむくと湧き上がってきたりして。
     
    でも、自分のルーツを大切にすることなしにどうやってしっかり地に足をつけて生きていくことができるんだろう?
     
    特に海外に暮らしていると、自分のルーツを大切にすることがどれだけ大切かを身に染みて感じます。自分がどれだけ日本人であることを大切にしたいと思っているか、どれだけ日本を愛しているか。
     
    そして、どうして、これほど日本の若者達の自己肯定感が低いのか?自分が価値のある人間だと思えないのか?(内閣府 若者白書より)
    胸がしめつけられるようです。
     
    どうして、学校できちんと歴史が教えられてこなかったのか、どうしてテストの点をとるだけが目的の教育になってしまっているのか?
     
    ずっと不思議だった。
     
    ずーっと太古の昔から、自分が生まれるまではるかな時間をこえてつながれてきた命のリレー。
    いろんな大変な時代をこえてずーっとつながれてきた命のリレーのバトンを受け取って、日本人として生まれた今の自分がいる。
     
    なんてすごいことなんだろう。
     
    そして戦前までは、誰でも知っていたという日本の建国の理念とは

    「八紘一宇」

    つまり世界は一つ。人種平等と世界の平和。
    神武天皇が初代天皇に即位したときからの、建国理念。
    西暦でいうと、紀元前660年!

    どうしてこんな大切なことが教えられてこなかったのだろう。日本人として生まれながら、どうして今まで知らずに生きてきたのだろう?
    戦争責任、という国全体に広がる罪悪感。

    でも戦争がはじまったその頃は、世界中が欧州列国に植民地にされているような時代だった。有色人種は同等の人間として扱われていなかった時代。私たちは戦争でとっても辛く悲しい思いをした。でもその苦しみはもちろん日本だけに限られるわけはなく。

    でも、これから、罪悪感だけでどれだけ前に進んでいけるだろう。

    こんなにすごい建国の理念を持つ日本人の私たち。もっと、つながっていかないといけないんじゃないかな。

    私たち一人一人に実はすごいパワーがあって、そして私たちみんな、すべてがつながっている、という認識のもとではじめたこのハピネスラボの活動が一年になるときに、ちょうど、私にとって、最後のピースになるような「日本人であること」の意味。

    すべてがつながっている、ということは、太古の昔からずーっと日本の建国理念として静かに引き継がれてきたのか!この衝撃と感動といったら。

    その中で見た「君の名は」
    涙も出るわけだ。


     
     
     
  • 自分づきあい

    気が進まないことをするとき

    基本的に、したくないことは極力しません。

    でも、どうしてもしないといけないような場所に追い込まれるようなことがあります。

    そんな時の自問。

    今回の私の場合の頭の中をシェアします。

    今、コロナ後で歯科医院での仕事が思ったよりも疲れること。他の受付業務のスタッフがみんなコロナ休職させられている中、少人数でまわしながらの新しいマニュアルの作成など、仕事中は気合とアドレナリンで疲れを感じなくても帰ってくるとどっと疲れが出る、なんていう私らしくない状況。

    でも、一番やりたいのは来月で1年目になるラボの活動。メンバーシップ制にしてもっと、内容を充実させていきたいと、普段の私の頭の中は、このことでいっぱい。

    そんな中日本語を教えているGCSEの準備クラス。テキストに沿って当日ポンと教えているだけでしたが、子供たちが頑張っていて少しづつ力をつけているのがうれしい反面、きちんと準備したり計画したり、というところまできちんとできていない、というのがどこか心にひっかかっていて、そこまでのエネルギーや時間を使えない、気が進まない。

    だって、他のことににもっとエネルギーを使いたいんだもん!

    誰か、もっときちんとできる他の人に代わってもらえないかなー?

    でも、ジョブシェアよりも誰か一人でやったほうがいい気がする。

    みんなそれぞれにやりたいことや自分の生活を優先しているし、そしてやりたくないことはしないという法則に従うと、それが正しいと思うし、そうであるべき。

    みんな、やりたいことを優先して楽しくしているのが一番だもの。

    でも、そうすると、一体誰が教えることになるんだ?

    でも子供たちには日本語を教えたい。

    うーん。

    。。。。

    。。。。

    。。。。

    で、気づいたこと。

    このクラス、自分の娘がいるクラス。

    実は、仕事とか自分のプロジェクトとかで頭がいっぱいで、あまりゆっくり娘ときちんと向き合っていなかったかもしれないな。

    娘との時間は、二の次、みたいになってたかもしれないな。

    だって、やりたいことがいっぱいあるんだもの!

    忙しいんだもん!

    だから宿題とかもきちんとゆっくり落ち着いてみてあげてなかったかもしれない。

    一番大切な娘との時間。自分の娘が日本語を学んでルーツを学ぶという大切な仕事。

    GCSEというテストに向けていい点を取れるように、という目標があるのはいいことかもしれないけど、目的は本当はそこじゃない。日本語を学んで、日本人であるというルーツを大切にすること、日本を大好きになってもらうこと。頑張った!という達成感を持って、自分に自信をつけてあげること。娘たちの成長のために、一緒に歩いてあげること。

    この下の娘は、確かに私も、長女のときよりも気を付けて日本語を教えようとしていなかったかもしれないな。2番目って、そういう風になりがちなのかな?小さな時にじっくり時間をかけて手をかけて教えていた上の子は、幸運なことにGCSEの時も放っておいても自分で勉強してくれた。もちろん、すごく良い先生に恵まれたことはとても大きい!でも、この下の子は小さな時にきちんと時間をかけてあげなかった分、もっと今私の手が必要なのかもしれない。

    ハピネスラボ、なんて、外に向けて発信するプロジェクトが、自分や一番大切な家族、娘との時間を犠牲にすることで成り立ってしまっていたら、すごい本末転倒になるところだった。

    なんか、すごく大切なことに気づかさせてもらえたかも。

    あぶない、あぶない。

    だから、きちんと向き合って、やってみよう。

    娘との時間を大切にすること、娘の成長をしっかり見てあげること。

    そしてもちろん、毎週顔を合わせるうちに家族のようにかわいく愛しく思えるようになってきた、一緒に学ぶ子供たちの成長も。

    もちろん、無理しないように、周りに協力してもらいながら。

    ハピネスラボは、本当はこんな気づきのためにある。

     

    ラボ原則を、毎日の日常生活に起こる全てのことに落とし込んで考えていくこと。

    今回は、原則5の中に書いた

    「やりたくないことは、しない」

    どれだけ大切なんだろう。

  • 自分づきあい

    コロナ不安と私の気づき

    このラボを始めて、自分の本当に考えていることを表現するようになってから、本当に面白いことにたくさん気づくようになりました。

    昨日、友人の一人から言われた言葉に「へー!」と思ったので、シェアします。

    そのお友達は、こんなに世の中が大変な時に「日常生活天国化計画」とか浮ついたことを言っていて、申し訳ないなーとかって思わない?多分、ほとんどの人がそう思って違和感持ってると思うよ!

    ということでした。私は「わー!そういう風に思うんだ!」とびっくりして、面白い~とそう素直に思いました。

    同じものを前にして、見る人によってここまで感じ方が違うんだなー。って。

    私はもうどっぷりと自分ワールドに入っていたし、やっぱり親しいほとんどの人たちは自分と似たような考えかたをしているので、まさか人がそんな風に思うかも、ということにあまり考えが及んでなかったんだなー。と思います。

    考えの全く違う人と話すことって、本当に学びが多い!

    私は、今こうやって不安が広がっている時だからこそ、もっとみんなが元気になれるようなメッセージを広げていきたいと思っていたし、人の不安に巻き込まれて、全然大丈夫な環境にいる自分まで不安になったりしていたら、その不安が周りにも伝染して、周りに迷惑にさえなると思っていたから、元気でいられる人は堂々と元気にしていていいし、それが一番の社会貢献だと思ってました。

    もちろん、ソーシャルディスタンスを守るとか、極力家にいるとか、自分でできることをするのはあたりまえだけど。

    でも、元気にしていたら「申し訳ない」と思わないといけないような雰囲気がある? 

    確かに目の前に家族を亡くした人が泣いているのに、わざわざハッピーがどうたらと言うことはデリカシーがないかもしれないけど、自分も周りも元気なのに、なぜわざわざ自分が元気にしていられるのを「申し訳ない」と思うんだ??何に対して申し訳ないと???

    幸せでいることに対する罪悪感? なぜ?

    。。。。

    確かに、今回のことでよく考えさせられたのは、たくさんの人たちに助けられてこうして生きていられるんだなー、ということ。でも、もちろん感謝はたくさんしても、本当に罪悪感は必要?。冷静に考えて、どういうベネフィットがあるんだろう?

     

    というか、今、ふとそう書きながら、すごい発見をしました。

    私、あまり物事を不安に思わない体質みたい。

    不安って、どんな感覚なんだったっけ? しばらく感じてない気がします。

    こうなったらどうしよう?とか将来の心配をしちゃうとか。ない。

    おめでた体質😂

    確かに、とりあえず今仕事はあるし安定した生活をしているから(ありがたや~🙏)こんなのんびりしたことが言えるのかもしれないけど、でもコロナが騒がれ始めたころ、確かに私も「想定される最悪の事態」を考えていた時期がありました。それは家族が死んだり自分が死んだり、知らないうちに他人にうつしてしまってその人が死んじゃう、ってこと。家族の死に目にあえないとか、家族が苦しんでいる時にそばにいてあげられない、というのもかなり辛いと思う。家族に会えないまま、一人病室で隔離されて死んでいくのも。あるいは、病気にならなくても、周りに食べ物が何にもなくなって家族に食べさせられるものがなくなって、どんどんやせ細る家族を前に何もしてあげられないとか?そう考えて、森を散歩しているときに、周りに生えているものを見て、これは食べられるのかなー🤔とスキャニングしていた時期もありました...

    大体、不安って、あいまいだからエスカレートしちゃう気がします。

    何か説明できないけど不安、っていうのが厄介だなーと。

    でも、最悪の事態を考えたら、ただそうならないように今どんな対策を練ることができるのか、毎日どんな気持ちで家族や周りと接していれば何が起こっても後悔せずにいられるのか、と考えるようになって、そうやって実際に生活してみると、今の私にできることは全部やってるから、あとはもうお任せ。あとはそれを受け入れるだけ。っていう心境になってきます。ならない?

    あとは、何を信じているか。生死、というものをどう考えてきたのか。

    多分ほとんどの人が、そんな面倒くさいことあまりつき詰めて考えてこなかったのだと思います。だから、こういうことがあると、ショックも大きいのかもしれないな。と。

    私が見ていて本当に悲しいと思うのは、不安をコントロールできなくて、この大切な「今」という時間を無駄にしてしまっている人たちがたくさんいること。家族にイライラを当たり散らしているその時間に、本当はたくさん子供たちをハグしてあげたり、一緒に本を読んだり、もっと一緒に楽しいことをしてたくさん笑って過ごせたのに。

    だから、不安になった時は、ちょっと怖いかもしれないけど、ぜひ真向から「想定される最悪の事態」を考えてみたらいいと思います。そうすると、一日一日の過ごし方も感謝に満ちてくるし、実は自分がどれだけ家族を大切に思っていたのか、体の奥から愛情がふつふつと湧き上がってくるような感じにさえなると思います。後悔しないように毎日を過ごすとはどういうことなのか、を考えざるを得なくなると思うからです。いつか、私たちは必ずこの肉体を卒業するときがくるので。

    こういうことは、今までの目まぐるしく忙しい生活では考える機会さえなかったと思うので、こうやって、立ち止まって自分と向き合える時間をプレゼントしてもらえたこの機会は、すごいチャンス。

    本当にそう思います。

     

     

  • 宇宙のルール,  自分づきあい

    「知っている」

    「知っている」には何段階もの層があるんだな、と思う。

    自分が「知っている」と思っていたことも、あとになってみると、なーんにもわかっていなかったんだな。と思うことがある。

    基本的に私は、何かを理解するのに時間がかかるほうである。何をするにも不器用で、理解が遅くて、ちょっと頭が悪いとずっと自分で思ってきた。少なくとも、何でもスマートにこなせるタイプではない。その格好悪さが、自分なりにちょっとコンプレックスだったりもした。でも、スマートでない分、私は何でも深く理解し、実感を持って体全体でわかることを求めていたのだということがわかって、自分がたまらなく愛しくなった。

    私が今、わかった、と実感していることは、自分のどろどろした部分と徹底的に向き合って、今まで自分に徹底的に問うことを課してきたからだ、という自負がある。これは頭だけで得た知識ではない。体全体でわかった時、今まで経験したことのない力が内側から湧いてくるのを感じる。

    これは頭で理解するのとは、全く次元が違う。いろんな情報や知識が氾濫している今、その情報が自分にとっての真実がどうかは自分の体に聞いてみるのがいい。おなかの感覚、そこからどんな感情がわいてくるのか?それは重くて暗い感情か、軽くて楽しい感情か。自分はどう思うのか?自分のフィルターをきちんと通さない知識は、上すべりで自分の栄養にならない。その知識は、人の上にたつためでも、自分をよく見せるためでもない。学ぶのは、知識を求めるのは、それが楽しくて仕方がないからだ。知りたくて、学びたくてうずうずするからだ。

    もちろん、そうやって知り得た知識は自分の血となり肉になり、そして周りに伝えずにはいられなくなるのではないかと思う。

    大人たちが変な干渉をしない限り、子供たちは放っておいても自発的にいろいろ学ぼうとする。

    本当は、そういった自然な成長欲求はきっと本来誰にでもあると思う。

    頭だけで分かった気になって、安心していたらもったいない。

    もっと貪欲に学んでいこう。

     

  • 人づきあい,  自分づきあい

    共感しても同調しない

    私が本当に心地よくいることは自分の責任。

    それが一番大切な自分の仕事。

    本当の意味で心地よくいるときは、周りの人も自然に心地よくなるもので、自分ひとりが気持ち良ければ周りがどれほど迷惑でも関係ないというものじゃない。

    でも、相手が苦しんでいたり、悲しんでいたり、辛い思いをしているとき、自分だってうれしくない。

    世の中にはひどいことや悲しいことがたくさんあふれているのに、それに目をつむって、自分ばかり心地よくいることに集中しているのは、自己中心的ではないのか?人が苦しいときに、自分が幸せでいることに集中しているのは冷たい?何かしてあげないといけないんじゃないか?

    そんな風に、無意味に罪悪感を感じがちなのはどうしてだろう。

    罪悪感って何だ?私のせいでこの人は辛い思いをしている、とか、私がもっとこうしてあげたら、この人はもっと幸せになれるかもしれないのに。でも、その裏には、私がしていない、あるいは私がしていることが相手の人の幸せを左右してしまうほどに、その人が無力な存在だと思っているのではないか?

    罪悪感って実は傲慢かも。

    私ができることは、自分の中を整えることしかないのに。自分の中を整えることでやっと相手の力になれるのに。 

    私のヨガの先生の話がとても心に残っている。彼女は、アルコール中毒の母親を持っていて、倒れているから来てほしいと電話があったとき、彼女が一番最初にしたことは3分間だけ目を閉じて心を整えることだった。そのとき、普通の人ならきっと、慌てて車に飛び乗ってアクセルをふんで駆けつける、ところだったろうと思う。でも彼女は、静かに心を整えてから車でお母さんのところにむかい、お母さんのところに着いたときには、感情に振り回されることなく、本当に静かに愛をこめて接することができた、このとき、ヨガを学んできたことに本当に感謝したと。

    自分の身にふりかかること、周りに起きることと自分の間に、いつもスペースがあるということを忘れてはいけないな、と思う。

    辛い状況の真っただ中にいる人の話を聞いて、辛い気持ちなんだなぁ、と共感しても、自分まで辛い気持ちになることはない。自分まで気分が落ち込んじゃうと、その人だって辛さが増幅して、もっとそこから這いあがれなくなってしまう。

    本当は、誰だって、自分の現実を自分でつくっていく力があるのだから。

    でも、それが真実かどうかを決めるのは、その人次第。私はそれを信じることを決めたから、それは私にとっての真実だけど、何を信じるかはその人次第。

    共感しても、同調しない。それが、本当のやさしさかも。

  • 宇宙のルール,  自分づきあい

    意識が変わればすべてが変わる

    意識が変われば全てが変わる。

    見方が変われば全てが変わる。

    知らなかった。私の意識が全てだったこと。他人も世間も全て、私の意識が作り出した現実。

    私が心地よくいること以上に大切なものは何もない。

    人のために、も実はウソ?

    実は、人によく思われようと思ってやっていることじゃない?

    自分が心からやってあげたいな、やりたいな。全く見返りなんて必要ない、感謝なんてされなくてもオッケー。自分が、やりたくてやってるんだから。そういう生き方で、さわやかに行こう。

    人のために、と思ってやってあげたことは、その人が私にしてほしいと思っていることではないことだってたくさんある。他人が自分と同じように考えたり、感じるものだと勝手に想像して、同じように考えない相手に怒ったり、相手を変えようとするって、すごく傲慢。

    周りに合わせる必要はどこにもない。私は本当にそれがしたいのか。周りに流されていないか。人に嫌われることを恐れて、言いたい事をやっていない。やりたいことをやっていない、自分が一番大切にしないといけないのは、自分自身なのに。自分が自分の人生を一番に考えてあげなかったら、誰が一番理解して、誰が考えてくれるんだろう。

    「わがまま」であることは、ずいぶんと悪いものだと思い込まされてきた。でも、自分を最初に幸せにしないで、周りを幸せになんてできない。周りの人たちやものごとをありのままにうけ入れることはできない。周りの人たちに、私のことを決める権利はない。

    それなのに、どうしてみんなそう簡単に他人にコントロールすることを許してしまうのだろう?そうすれば、人のせいにできるから?自分で自分の人生の責任を取る覚悟ができていないから。

    自分の人生を生きる覚悟、自分でハンドルを握る覚悟。道に迷っても、中央分離帯に乗り上げても、人のせいにしない。「わがまま」であっても「犠牲者」にはならない。

    そんなふうに、生きていきたい。

  • 自分づきあい

    体の声をきく

    体の声を聴くようにしている。

    今、本当にこれが食べたいのか?今、本当にこれがしたいのか?

    私の本当の気持ちは?

    今まで、本当に体の声を無視してきたんだなーと思う。

    大事にしてあげよう、私のこと。

  • 人づきあい,  自分づきあい

    「いい人」の罠

    「いいひと」という概念に、ずっとあやしげなものを感じてきた。

    子供に対して使う「いい子」という言葉にも感じる、不愉快な感覚。

    「いいひと」って何?「いい子」って何?

    「あの人はいい人だ」と誰かが言うとき、イメージするのは、穏やかで平和で善良でにこやかに人のことを考えて生きる人。ボランティア活動とかもたくさんしているかもしれない。

    この「いい人」という概念に不快さを感じるのは、ただ私がひねくれているから?反発心がむくむくと湧き上がる。人間は状況次第でどんなことをするか全くわからない存在なのに。

    で、わかった。この不愉快の意味が。

    「いい人」は「正しい」ことをしているからなのだ。で、私はこの「正しさ」に反発している。「正しい」って何よ。世間の常識とか、「こうするべき」に沿っている。でも、世間の常識や「こうあるべき」「こうするべき」というものほど、怪しいものはないと私は思う。どうして、他人の「正しい」に合わせて生活していかなくてはいけないのか。世間の「正しい」に合わせると、自分が苦しくなる。そして、苦しいままで世間の正しさに無理矢理合わせていい人をよそおったりしていると思ったら、突然周りに爆発したりする。

    「私はこんなにやってあげているのに。」

    こんな風に生きている人に最近、よく気づくようになった。初対面の頃は、こんなに善良ないい人が存在するんだ!と、素直な私は簡単に感動したりしていた。ボランティア活動にもよく取り組み、いつも穏やかで自分のことよりいつも相手のことを優先して考えて。でも、一緒にいるうちに少しづつ気づいていくのは、どうも犠牲者になりたがるんだな、ということ。犠牲者になって、相手を自動的に悪者にしている。

    自分の気持ちをうまく伝えられなかったとき、相手を悪者にして、自分は被害者になりがちである。ということを最近、大発見した!

    「こんなにやってあげているのに」って、そうするように頼まれたのか?自分で、そうしようと決めたのじゃなくって?

    やりたくなかったのなら、しなければよかったのに!自分でやろうと決めて、あとで誰も感謝してくれない、って怒るなんてちょっと迷惑。とっても重いんですけど。

    と言いながら、私もちょっと夫に対してそんなことをしていた時代があった。

    いつも仕事で疲れている夫が少しでも朝ゆっくり寝ていられるように、ベッドまで毎朝朝食を運んでいってあげていた。それが日課になっていたので、ふつうにもう朝食はベッドで食べられるものだと思っている夫にどんどん腹がたってきた。もうちょっと感謝したらどうなのよ!私だって眠いんだから!

    今から考えると、何をやっていたんだろう?とつくづくおかしい。

    ぷんぷんして朝食を持ってきてもらったって、何もうれしいことはなかったのに。今は、冷静に考えて、素直に、持っていってあげようかな、と思ったときだけ気持ちよく持っていってあげるようになった。で、疲れているときは、私が寝ているうちに知らないうちに仕事に出かけていたりもする。昔だったら、ものすごく申し訳ない気持ちになっていたところ、今はそんなことは全然ふつうになってしまった!

    それは「いい妻」を演じるのをやめたから。自分がやりたい、やろうと思ったことだけしているから。

    楽ちんで自由。

    「いい人」でいるよりも、自由で楽しい方がずっといい。

  • 宇宙のルール,  自分づきあい

    幸せになるための5原則

    幸せになる。幸せに生きる。

     

    これって、人生最大のテーマ。私も小さなころから、幸せに生きるというのはどういうことか、ずーっと考えて生きてきました。で、行きついたところは、自分が幸せでいることが、最大の社会貢献なのだ!ということです。周りの人を幸せにしたいと思ったら、まず自分が率先して幸せでいることです。くれぐれも、自分のことをそっちのけで、人のことばかり心配することがないように。

     

    ではどうやって幸せ体質になっていくか?絶対不可欠の5原則。

    • まず絶対に必要なことは、幸せになろうと自分で決めること。
    • 自分の幸せのイメージは? 自分の幸せのイメージをはっきりと思い描くこと。自分がそのままの自分で、心地よくいられる幸せ。私にとって、それは昔のチャーミーグリーンのCMのように、おばあちゃんになっても目をキラキラさせて楽しく笑って生きること。
    • 現実に起きていることと、自分の間にはスペースがあることを知ること。自分に集中して、自分を大切にすることで、現実を自分で作っていくことができることを知ること。
    • 自分が話す言葉、自分が普段考えていること、自分を置いている周りの環境、自分が放っているエネルギーに注意を払うこと。
    • 自分軸で生きること。
     
    まずは、日常生活天国化計画!私の生活の中の小さな天国や、私の気づきをこれからここでたくさんシェアしていきます。