• くらし,  ハピネスラボ

    ③日常禅とトイレ掃除

    先週10月11日金曜日に行われた第3回目のラボでは、周りのラボ仲間たちに「今さらー?」と笑われながら、神様が下りてきているとしか思えない!と思った衝撃の辻井伸行さんのピアノ演奏の動画を無理やり共有したり、はたまた、逆にこの人もすごいよ!とジャズピアニストの上原ひとみさんという方のことを教えてもらったり、好きなことをめいっぱい表現している人の生きる姿って感動するなー、としみじみしました。
    日常生活天国化計画に欠かせないポイントとして、今回は「トイレ掃除」について、トイレをピカピカに保っておく重要性、いつもトイレのフタを閉めておく、トイレの神様に捧げる祈りの言葉についてなどをシェアしたりしました。いつも無意識に使うところ、無意識に過ごす時間を、少しでも感謝と祈りの気持ちを持って過ごせるように、トイレをきれいにしていることで、自分の陰の部分を浄化させていく。

    実践レポート受付中!

  • くらし,  すまい,  たべもの

    家のしごと

    家の中の仕事をきちんとしている人に憧れる。こんなことを言うと、少し時代遅れな感じすらするかもしれない。

    女の人が家事をすること。女の人を家にしばりつける概念としてでなく、どうして家事をきちんとしている人がステキだと思うのか考えてみて、わかったこと。

    「家事は、そもそも、家族や身の回りの人やものに愛を表現する行為である」

    ということ。

    料理、掃除、すべてはエネルギーを整える仕事である。

    掃除は家の中のエネルギーを整える。きれいにお手入れされているものには、よい気が宿るし、家中が散らかっていると家のエネルギーも散らかって、そこに住む人の頭の中まで散らかってくる。

    静かな心持で生活するには、やっぱり禅寺のようにはいかなくても、自分の本当に気に入った必要最低限のものを持ち、それを丁寧に使い、置き場所を決めて、整理しておく。ということが大切なんだろうと思う。

    外で仕事をしていると、家の仕事が面倒くさく感じられたり、限られた時間で食事を作らなければいけなかったり、やらなければいけない仕事が山のようにあるように感じることもある。ちょっと気を抜くと、家の中は簡単に散らかるし、ほこりは絶え間なくつもる。

    でも、掃除を「家の中のエネルギーを整える仕事」だととらえると、義務というよりも自分が気持ちよくいられるエネルギーを作ることにフォーカスするので、楽しくなってきたりさえする。掃除をタスクと考えると辛くなるし、掃除が行き届いていないところが気になりすぎて強迫観念さえ感じたりすることもあるかもしれない。タスクを遂行していない罪悪感や無価値観まで出てくるかもしれない。でも、自分の「気分の良さ」にフォーカスして、できる時にできるだけ「気持ちよく」過ごせるように掃除をするのが、私の中で一番しっくりくるなぁと思う。そういう意識で掃除した家は、きっと空気が明るくて、家族もイキイキと暮らせるのではないかと思う。

    掃除が家の中のエネルギーを整える仕事なら、料理はまさに家族の健康をつかさどる大切な仕事で、最もダイレクトな愛情表現の行為であると思う。

    私はおばあちゃんっこだったが、祖母の思い出はおうおうにして食べ物と結びついている。いちじくの甘露煮、笹団子、きらずいり(新潟の田舎ではおからのことをこうよんでいた)

    私は幼いころから、家の畑からとれた新鮮な野菜いっぱいで、毎日愛情いっぱいに丁寧に作られた食事で育ててもらった。本当にありがたいことだったのだなぁ、としみじみ思う。だから、今でも祖母が作ってくれた料理を思い出すと、なんか涙が出る。

    毎日、朝から晩まで畑仕事に台所仕事。私にはちょっと真似できない、と思ってしまうけど、もっと家族にきちんと、愛情いっぱいに丁寧にごはんを食べさせてあげようと思った。

    これ以上に大切な仕事はないように思える。

  • 宇宙のルール,  自分づきあい

    「知っている」

    「知っている」には何段階もの層があるんだな、と思う。

    自分が「知っている」と思っていたことも、あとになってみると、なーんにもわかっていなかったんだな。と思うことがある。

    基本的に私は、何かを理解するのに時間がかかるほうである。何をするにも不器用で、理解が遅くて、ちょっと頭が悪いとずっと自分で思ってきた。少なくとも、何でもスマートにこなせるタイプではない。その格好悪さが、自分なりにちょっとコンプレックスだったりもした。でも、スマートでない分、私は何でも深く理解し、実感を持って体全体でわかることを求めていたのだということがわかって、自分がたまらなく愛しくなった。

    私が今、わかった、と実感していることは、自分のどろどろした部分と徹底的に向き合って、今まで自分に徹底的に問うことを課してきたからだ、という自負がある。これは頭だけで得た知識ではない。体全体でわかった時、今まで経験したことのない力が内側から湧いてくるのを感じる。

    これは頭で理解するのとは、全く次元が違う。いろんな情報や知識が氾濫している今、その情報が自分にとっての真実がどうかは自分の体に聞いてみるのがいい。おなかの感覚、そこからどんな感情がわいてくるのか?それは重くて暗い感情か、軽くて楽しい感情か。自分はどう思うのか?自分のフィルターをきちんと通さない知識は、上すべりで自分の栄養にならない。その知識は、人の上にたつためでも、自分をよく見せるためでもない。学ぶのは、知識を求めるのは、それが楽しくて仕方がないからだ。知りたくて、学びたくてうずうずするからだ。

    もちろん、そうやって知り得た知識は自分の血となり肉になり、そして周りに伝えずにはいられなくなるのではないかと思う。

    大人たちが変な干渉をしない限り、子供たちは放っておいても自発的にいろいろ学ぼうとする。

    本当は、そういった自然な成長欲求はきっと本来誰にでもあると思う。

    頭だけで分かった気になって、安心していたらもったいない。

    もっと貪欲に学んでいこう。

     

  • ハピネスラボ

    ①ハピネスラボ

    【2019年6月 初ラボ】

    2019年6月21日、夏至。

    この太陽のエネルギーがもっとも強く地球に降り注がれる夏至という日に、ハピネスラボという私の小さなプロジェクトを始動させました。

    一人一人がとてつもなく大きなエネルギーを持つ存在で、そのエネルギーを作る思考や感情の質によって、その場に影響を与えていける。そんなことを学んだとき、私も、今いるこの場所から、意識的にこの地球に愛や幸せを広げていくことがしたいと思いました。このプロジェクトは、そんな思いを形にするために、実験の場を作るためにはじめました。

    ここに至るまでのプライベートな私の経緯を話し、私がハピネスラボで大切にしたいミッションを話しました。

    ここでは、自分のエネルギーを弱める愚痴や、他人の批判などはしません。他人と自分は違って当然。パーフェクトな人なんて、どこにもいない。

    一人一人の違いを大切にしながら、ただ全部受け入れてオッケーにする。でも、ちょっとづついろんなことに気づいてお互いに学んでいく、そんなスタンスでこのラボをすすめていこうと思います。

    このハピネスラボに縁があった全ての人たちが、今よりもっと自由な気持ちで、それぞれの目の前にある現実を少しでも自分なりの「天国」に近づけていけますように。

     

     花森安治『灯をともす言葉』より詩も何篇か朗読してみました。

    ここでも少しシェアします。

     

     ぼくらの暮らしを、まもってくれるものは、

    だれもいないのです。

    ぼくらの暮らしは、けっきょく、

    ぼくらがまもるより外にないのです。

    考えたら、あたりまえのことでした。

    そのあたりまえのことに、気がつくのが、

    ぼくら、すこしおそかったかもしれませんが、

    それでも、気がついてよかったのです。

     

     

    美しいものは、いつの世でも

    お金やヒマとは関係がない。

    みがかれた感覚と、

    まいにちの暮らしへの、

    しっかりした眼と、

    そして絶えず努力する手だけが、

    一番うつくしいものを、

    いつも作り上げる。

     

  • 宇宙のルール

    新しい時代

    令和という時代になり、昭和の私はなんか急に年をとってしまったような気がする。

    イギリス暮らしの私の平成娘たちには、この日本の時代の変化が全くピンとこないようだけど、私は一人、これから日本は、世界はどんな風に変わっていくのだろう。と考えていた。

    きっと、これからもっと激動の時代になるだろうと思う。肩書とか、学歴とか、我慢とか、根性とかそういう古いものはどんどんなくなっていき、もっと、その人それぞれの素のままでつながれる、その人それぞれの本質で生きていける時代になると思う。

    もちろん、それは一人一人個人の選択だけど。

    その人の本当に好きなこと、したいことを素直に表現して、それはお互いにぶつからず、お互いに助け合える。

    お金なんかもらえなくてもかまわないほど好きでたまらないことを思い切りやって、それでみんなに喜んでもらって、その結果何だか知らないうちにお金がいっぱい転がり込んでくる。

    そんな風に働きたい。

    みんなと喜びを与えあい、みんなで一緒に豊かになっていく。もっと本来の自分の姿を思い出し、本来の自分のままで自由に生きていける。

    理想主義と笑われるだろうか。でも、実際に、現実をつくっていくのは私たちの意識なわけで。

    そうだとしたら、私たちはどのような現実をつくっていきたいのか、はっきりと意志をもって生きたいと私は思う。恐れや心配ごとに心を奪われて、びくびくと生きていくのではなく。

    うちの14歳の長女は、言わずと知れた韓国のポップグループ、BTSが大好きで、寝ても覚めてもBTS。通りすがりのトラックの小さな認証番号のようなアルファベットの中にもすかさず [BTS] の文字を見つける。この曲は35秒目から誰々のボーカルが入る。という驚きのおたくぶり。その止められない「好き」の気持ちのはけ口を探すかのように、彼女は自分でデザインしたBTSクッションを帰宅後、ちくちく縫っていた。そうやって、はじめて自分で時間をかけて作ったクッションは、同じく熱狂ファンの友達にプレゼントして、同じものをもう一つ自分にも作った。誇らしげで本当に幸せそうだった。

    12歳の次女はある仮想現実のゲームにはまって、なんとスタッフにまで昇進していたらしい(!?)彼女曰くこのゲームの中では「有名人」らしい。

    「ゲームばっかり、してないの!」と言いたくなる気もしないでもないけど、でもやっぱり私は、イキイキと好きなことに目をキラキラさせている娘たちを見ているのが、最高にうれしい。

    変なプレッシャーに負けたり、変な理屈を身につけず、自分の「好き」を大切に、そのまま楽しく幸せに生きていってほしい。

    本当にそう思う。

    自分がイキイキと心から幸せなら、周りの幸せを素直に祈れる。そんな風に周りにどんどん幸せを伝染させて、愛と平和の時代がつくられるのだと思う。

    新しい時代の幕開けに、そんなことを思った。

  • 人づきあい

    卒業かな

    とても影響をうけて、尊敬もしていた大学時代の恩師から、精神的に卒業した、と実感した日だった。

    気づけば、恩師の言うことは、今まで基本的に全て正しいと思っていた。とても博識で、社会的弱者に対する慈悲深いまなざしと、社会悪やくだらない常識、といわれるものに対する痛烈な批判。少しでも世の中をよくしていきたいと長年地道にたゆまず行動されている姿、今まで、自分の考えたこともないような洞察の深さで自分に見えなかった世界を見せてもらったりもした。

    ところが。

    去年からの凄まじい意識の変容の中で、それも全く変わってしまった。

    もちろん、この尊敬は変わることはない。

    でも、彼を前にして、私は本当に変わったのだな、と強烈に自覚した。

    私の真実は、他のどこでもない、私の中にある!

    彼の真実と私の真実は違って当然なのだ。

    人の真実は、自分一人一人が決めるものであって、自分よりも頭がいい、とか「えらい」と思える人に決めてもらうようなものではない。そして、自分にとって真実でないことは、お腹の感覚が、丹田が「違います」とざわざわしたり硬くなったりして教えてくれる。

    どんなに偉い人が目の前に現れても、私はもう、誰かを上において自分を下においたりしない。

    誰かを自分の上におくということは、同時に誰かを自分の下においているということじゃないか?

    それがいかにおかしいことだったかということに、今やっと気付いた。

    一人一人がそれぞれに、この地球にそれぞれのテーマを背負って修行に来ている。そう考えると、一人一人がとてつもなく愛しく思えてくる。地球的な考えで、人を比べたりジャッジしたり、というのがいかにナンセンスだったか。

    思えば、はじめてイギリスでは上司であろうがなんだろうが名前で同等に呼び合っている。そういう軽さが好きだなーと思う。

    でも、いつも思うけど、私は日本での「〜さん」という呼び方がとっても好きだ。
    とってもニュートラルで優しいと思う。イギリスでは、知らないお客様とかをちょっと丁寧によぼうとすると、男なのか女なのか、そして結婚しているのかそうでないのか、あるいはそういう風に呼ばれるのを嫌う、少し「ムズカシイ」人なのか、女だったけど今は男になった人とか、女の格好をしている男の人とか、難しいケースはいっぱいあって、そういうのをぜーんぶ関係なく、その人をそのままの人として尊重して「〜さん」と呼ぶやわらかい優しい日本語、好きだな。と思う。

     

  • インスピレーション

    人間であることの10のルール

    10 Rules for Being Human”

     By Dr Cherie Carter-Scott


    やっぱり、日本語の方がすっとなじむので、翻訳してみる。


    ルール1 You will receive a body. 肉体を受け取る


    ルール2 You will be presented with lessons. レッスンを与えられる


    ルール3 There are no mistakes, only lessons. 間違いはなく、あるのはレッスンのみ

     

    ルール4 The lesson is repeated until learned. レッスンは学ばれるまで、何回でも繰り返される


    ルール5 Learning does not end. レッスンは終わることがない


    ルール6 ‘There’ is no better than ‘here’ ここ、よりも良い場所はない


    ルール7 Others are only mirrors of you. 他人は、ただの自分の鏡


    ルール8 What you make of your life is up to you. 人生から何を得るかは、自分しだい


    ルール9 Your answers lie inside of you. 答えはあなたの中に隠れている


    ルール10 You will forget all this at birth! この全てのことを、誕生の時に忘れてしまう。

     

    忘れていたこのルールを思い出すことで、毎日の日常生活は全く違う顔をみせてくれるのではないか、と思う。

     

  • 人づきあい,  自分づきあい

    共感しても同調しない

    私が本当に心地よくいることは自分の責任。

    それが一番大切な自分の仕事。

    本当の意味で心地よくいるときは、周りの人も自然に心地よくなるもので、自分ひとりが気持ち良ければ周りがどれほど迷惑でも関係ないというものじゃない。

    でも、相手が苦しんでいたり、悲しんでいたり、辛い思いをしているとき、自分だってうれしくない。

    世の中にはひどいことや悲しいことがたくさんあふれているのに、それに目をつむって、自分ばかり心地よくいることに集中しているのは、自己中心的ではないのか?人が苦しいときに、自分が幸せでいることに集中しているのは冷たい?何かしてあげないといけないんじゃないか?

    そんな風に、無意味に罪悪感を感じがちなのはどうしてだろう。

    罪悪感って何だ?私のせいでこの人は辛い思いをしている、とか、私がもっとこうしてあげたら、この人はもっと幸せになれるかもしれないのに。でも、その裏には、私がしていない、あるいは私がしていることが相手の人の幸せを左右してしまうほどに、その人が無力な存在だと思っているのではないか?

    罪悪感って実は傲慢かも。

    私ができることは、自分の中を整えることしかないのに。自分の中を整えることでやっと相手の力になれるのに。 

    私のヨガの先生の話がとても心に残っている。彼女は、アルコール中毒の母親を持っていて、倒れているから来てほしいと電話があったとき、彼女が一番最初にしたことは3分間だけ目を閉じて心を整えることだった。そのとき、普通の人ならきっと、慌てて車に飛び乗ってアクセルをふんで駆けつける、ところだったろうと思う。でも彼女は、静かに心を整えてから車でお母さんのところにむかい、お母さんのところに着いたときには、感情に振り回されることなく、本当に静かに愛をこめて接することができた、このとき、ヨガを学んできたことに本当に感謝したと。

    自分の身にふりかかること、周りに起きることと自分の間に、いつもスペースがあるということを忘れてはいけないな、と思う。

    辛い状況の真っただ中にいる人の話を聞いて、辛い気持ちなんだなぁ、と共感しても、自分まで辛い気持ちになることはない。自分まで気分が落ち込んじゃうと、その人だって辛さが増幅して、もっとそこから這いあがれなくなってしまう。

    本当は、誰だって、自分の現実を自分でつくっていく力があるのだから。

    でも、それが真実かどうかを決めるのは、その人次第。私はそれを信じることを決めたから、それは私にとっての真実だけど、何を信じるかはその人次第。

    共感しても、同調しない。それが、本当のやさしさかも。

  • すまい,  小さな幸せ

    大正ロマンな家

    いつ頃からだったんだろう。

    大正ロマン風の家やインテリアへのあこがれがあった。竹久夢二や蕗谷虹児のロマンチックな雰囲気が大好き。

    落ち着いた木の質感とアールデコと和洋折衷の大好きな雰囲気。だから、家探しの時にこの家を見つけて本当にうれしかった。

    美よりも便利さ?を追及した白いプラスチックばかりの窓枠ばかりの家が多いなか、きれいに手入れされた木の枠の窓を見つけたから。1930年代、アールデコの時代そのままオリジナルの窓のステンドグラスと暖炉。家中にあたたかい木のぬくもり。ドアノブやライトの取り付け部分なんかの細かいところもオリジナルを大切に使おうとしてきた、前の住人のセンスが感じられてうれしい。

    丁寧に暮らす人が住む家って幸せ。

    この家に入って、すぐそんないい雰囲気を感じた。丁寧に選んで、本当に気に入ったものだけ、本当に大好きで気持ちのいいものだけ厳選して家におこう。そんな風に思わせられる雰囲気の家だった。その窓は、結局あまりにひどい隙間風と防犯対策のためにあえなくプラスチックにせざるをえなかったけど、あちこちまわって、プラスチックだけどオリジナルの雰囲気をなるべく残せる良質の窓に変えてもらった。安易なプラスチックは醜いけど、やっぱり必要なところもあるのかも。

    この家は、決して大きな家ではないけれど、大好きなものに囲まれた私の一番のお気に入りの場所。観葉植物がたくさん元気に生い茂り、お手入れするのがとても楽しい。もっともっとジャングルみたいにいっぱい緑にしていけたら楽しいな。と思う。昔祖母がよく植物に話しかけていて、こうして優しい気持ちで手をかけてあげると元気に育つのよ、と言っていたことを思い出した。

    庭は子供たちのために仕方なく買った醜いトランポリンがあまりにも大きなスペースを占領してしまっている。ブームが過ぎ去り、ただ醜いだけのトランポリン!これを早く取り除いて、空いたところにガーデンテーブルを置き、そこに日よけになるように木枠をたてて蔓をつたわせてところどころにキャンドルをおいて、夏はたくさん庭で食事ができると楽しいな。と思う。ものおきと化していたサマーハウスも中でごろごろして本が読めるような空間が作れるといい。そんな優雅なことができる時間はいつか来るかな。

    妄想は楽しい。

  • 宇宙のルール,  自分づきあい

    意識が変わればすべてが変わる

    意識が変われば全てが変わる。

    見方が変われば全てが変わる。

    知らなかった。私の意識が全てだったこと。他人も世間も全て、私の意識が作り出した現実。

    私が心地よくいること以上に大切なものは何もない。

    人のために、も実はウソ?

    実は、人によく思われようと思ってやっていることじゃない?

    自分が心からやってあげたいな、やりたいな。全く見返りなんて必要ない、感謝なんてされなくてもオッケー。自分が、やりたくてやってるんだから。そういう生き方で、さわやかに行こう。

    人のために、と思ってやってあげたことは、その人が私にしてほしいと思っていることではないことだってたくさんある。他人が自分と同じように考えたり、感じるものだと勝手に想像して、同じように考えない相手に怒ったり、相手を変えようとするって、すごく傲慢。

    周りに合わせる必要はどこにもない。私は本当にそれがしたいのか。周りに流されていないか。人に嫌われることを恐れて、言いたい事をやっていない。やりたいことをやっていない、自分が一番大切にしないといけないのは、自分自身なのに。自分が自分の人生を一番に考えてあげなかったら、誰が一番理解して、誰が考えてくれるんだろう。

    「わがまま」であることは、ずいぶんと悪いものだと思い込まされてきた。でも、自分を最初に幸せにしないで、周りを幸せになんてできない。周りの人たちやものごとをありのままにうけ入れることはできない。周りの人たちに、私のことを決める権利はない。

    それなのに、どうしてみんなそう簡単に他人にコントロールすることを許してしまうのだろう?そうすれば、人のせいにできるから?自分で自分の人生の責任を取る覚悟ができていないから。

    自分の人生を生きる覚悟、自分でハンドルを握る覚悟。道に迷っても、中央分離帯に乗り上げても、人のせいにしない。「わがまま」であっても「犠牲者」にはならない。

    そんなふうに、生きていきたい。